良書とは一体なんだろうか。私が思う良書はテクニックでもノウハウでもない考え方が重要であり、自分に対し通用するかの物ではないだろうか。
私が出会った良書
私が出会った良書はとにかく自分と対話ができる本である。
それは、初めてそれなりに厚い本を読んだときでした。その本は”金持ち父さん貧乏父さん”という本だったが、そこに書いてあるテクニックはハワイの不動産投資で日本では通用しないものであったが、時間の使い方やお金の使い方をよく考えらる本だった。この本はYouTubeでの動画で見つけたもので、お金とうものが一体何なのか明確に理解できそうで、面白さを感じたから買って読むことにしたのである。
話の内容は、著者のロバート・キヨサキ氏であるためハワイが舞台になっており、彼の少年時代から始まっているが人生の有限さ、お金という限られたもの、時間という戻らないものをどう扱うか。それは基本的に今と未来をよくする方法を考える本である。決して、それ通りにして何とかなるではなく、重要なのはそこにある。と私は感じれた。
この本を是非お読みいただきたい。
読書は自分との会話。
読書は自分との会話であるため、本に書いてあることは著者の体験や考えであるが、それに対し自分はどうであるかを考えることが読書である。ただ、文字を追うのは読んでいるだけで理解していない。理解というよりも、正しくは解釈であるので自分の考えて読むと理解、解釈ともに深まる。
読み方は人それぞれではあるが、私は図書館、本屋で選ぶ際には全く知らないことか自身の専門分野、多少の知識のある分野のどれかを選ぶ。この方法は知らないことを知る楽しさを感じたいときと今の考えがあっているか、ほかの考えを取り入れ新しい発見を得ることができる。その楽しさがある。
例えば、スマートフォンが動くのはOSがあって、SocやRamやROMがあるから動くことができている。そして、通信をして…などを考えたり、知ったりできるのが読書のたしなみ方であり、会話になっていく。
読書に欠かせないモノ
読書をするにあたって、致命的な問題を私は抱えていたのである。それは、文字が読めない、漢字が読めない、意味を知らなかったのである。このことは、年代を問わない問題であると考えなにかしら調べるものがほしいものである。
そこで手にしたのが電子辞書である。国語辞典と漢字辞典が搭載されているものであればいい。そして、電子辞書には英和、和英辞典があるので海外の本も読むことのハードルは下がる。単語がわかるだけで理解の速度は上がるので必須のものである。また、自分がわかっている思うものでも、正しい意味を知らないことが多々あるので是非常に持っていてほしい。
スマートフォンを持っているから辞書である必要はない。というのは、確かであるが、電子辞書は調べること以外はしないので読書に集中しやすいのでこちらを薦める。
読書は人生を好転させる唯一の手段
日本という国は、勉強したかしなかったかで人生が変わる。読書はその手段であるのにお金を必要とさずに読むことができる。それが図書館の制度である。また、本一冊を買うのに大体1,000円から2,000円あれば手に入るので、多くのひとが手に付けられるものである。
現在のお金持ちは皆、勉学を怠ることはなく常に学び続けている。それは時代に置いてけぼりになることを避けられることと歴史から導きだした解決策などができるからだろう。
読書の差は年を重ねると恐ろしくなる。
現在、私はまだ18歳だが勉強し続けている大人とそうでない大人の違いが怖いくらい差を感じる。それは、学ぶ意欲というものも関係するが、物事へ対する見方に違いが出ること。
そして、精神年齢が上がっていかないという事実がある。
精神年齢をあげるには、勉学を怠った瞬間から基本的に止まる。そのため、コナン君の逆のことが起こってしまう。「見た目は大人、頭脳は子供、その名も働かないおじさん。」などとなってしまう。なんと恐ろしいことか。
実際、人は中学生ですべて決まる。考え方という大きな部分が、そして考え方は40歳で完全固定されその後変わることはない。と断言できる。
私の父は50代であるのに、頭脳が中学生、それ以下の発言をしてくるので相手にならない。このことは、恐ろしいことで引っ越しでは役に立たない所か、足を引っ張るということが起きてしまう。
それに対し、私の師匠たちは皆常に勉学の心を忘れず、反省であったり新たな考えを取り入れたりしているのである。それは、私への助言や提案などの力に反映されその人の大きさを感じる。
この話は、金持ち父さん貧乏父さんのように感じだろう。こんなことがあると一層本を読む楽しさがわかる。
勉強は大人になると面白みがわかってくる。
勉強をする理由が子供のことろは分からないものだ。それはモノを知らないのと、経験がないからであるからで闇雲に勉強させようとする親が時々いるが意味はなく、多くの場合は暗記になってしまうからである。暗記が悪いわけでないが”どうして?”がなくなってします。それはそういうものだからで片づけてしまうようになる。そうして、好奇心を失うこともしくは、教えてもはないとわからないくなる。つまり、主体性がなくなりやすくなる。このことは人間として最悪である。
子供のころは、遊ぶのが重要であるとよく言うがそれは正しい。勉強に必要な能力の土台を遊びは作り、応用力を自然と身につける。遊びは、体を動かすので理解というものが起こる。それは暗記ではない。本当の意味でわかるのである。水はなに?水は飲める、普段は冷たい、一度温めると冷めるのに時間がかかるなどである。それらは体から感覚として脳に入ってくるからだ。
このことは、中学三年の秋ごろに私は気づくことができ、そのときから、勉強というものが一体何かがわかった。そこからは、読書をする習慣を身につけるため高校では図書の番人になっていた。
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