良い相手がいない?恋愛結婚が少子化の一つの要因か。 結婚とは何のか。

Uncategorized

現代の結婚は、恋愛結婚が主流となり、見合い結婚や親族間の3親等以降で結婚させること、民族の長が結婚相手を決めるなどの伝統的、1つの集団での理由で結婚させらていたそうだ。

結婚したいのに、できない人。

恋愛結婚では、年収、年齢、職種、などを見てお見合いを組み結婚に至ることや大学や高校で出会った時からの付き合いで結婚に至るそうだ。

10代、20代前半の恋愛は交際を続けていくうちに破局へと向かっていき多くは別れていく。学生時代の付き合いで結婚するケースはめでたく稀であるように思える。(学生結婚)

結婚したいのに金銭面や社会的な面で結婚を望んでいるのにできない者たちがいる。その方々を不本意未婚と独身研究家荒川和久さんが名づけられた。

不本意未婚は少子化を進めている。結婚すれば多くの場合は子供を作るようになるのほとんどで、子供を産みましょうの前段階での手をみんなで打っていく必要があると思う。

恋愛は幻か。

結婚をするば幸せになれると思っている人が世の中にはいるようだ、そう思う人が登場してくるようになったのはなぜなのか。

恋愛はドキドキやキラキラなどその時はすごく興奮し楽しいものであるが、それにはピークが必ずくる。それは、もって3年ほどで早いとでは6カ月や3カ月であったりするもので、その正体は脳内で生まれるホルモンであるドーパミンが強く影響を与える。これによって興奮し、ワクワク、ドキドキできるのだ。それを超えての関係は信頼関係に変わっていく。

信頼関係になっていき心地がいいと感じるようになると、脳内ではオキシトシンやセロトニンなどが多く生産され、逆にドーパミンは減少していく。

そして、人間には慣れや期待を持つようになる。これによって、当たり前というモノを作り、感謝を忘れるようになる。初めは感謝するが、それも当然となり「どうしてわからないの!」「わかってくれない」などと子供になってしまう人になることがある。それによっても破局というものが起こるようになっている。

戦後、ラブロマンス 志を失う日本人

恋愛結婚は戦後日本に普及していった。その要因の一つがシンデレラストーリーになってくる。

貧民の少女に王子様が迎えに来てくれる。その男性に目立った志が見られないものが多いように思える。

そうして、ラブロマンスのほとんどは、結婚した先を描写されていないため恋愛が夢であることを教えてくれるが、一方でこの理想を人々は求めてしまう。それが駆け落ちなどに憧れた世代があり、現代でもそう感じる人は少なくないだろう。

ラブロマンスの作品には、血みどろの苦労や努力、生き様、志なるものは描かれず、特に足した努力や考えをもっていない者が描かれている。色白、高身長、ハイスペック、イケメンなどに思う。

そのため、理想が現実でも高くなっているように思う。また、結婚して、二人でともに成長していきましょうとはならず、今はお金がないから、もう年だし、まだ若いしと結婚をしようとはなかなかできない方がいるだろう。

結婚すると、人は生まれ変わる。

結婚は冠婚葬祭の一つで、通過儀礼でヒトとして、また社会的に必要なことである。

社会システムの維持のために結婚は必要となり、恋愛結婚、見合い結婚、家族ぐるみでの結婚などによって男女二人で暮らし、子孫を残すようになる。

そうすると、恋愛で許せいていたことが段々と気に入らなくなっていく。それが喧嘩の火種となり二人の関係が崩壊していく、食べ方や箸の持ち方、言葉遣い、いびきなどなど事細かに気になるようになる。これを話し合いや受け入れることによって、その期間を乗り越えていく。そうすると、人が互いに変わっていき似た者となるのがヒトなのだ。

これは生まれ変わりだ。

それによって、社会的に成功したり、業績が良くなったりと結婚相手によって互いに影響を及ぼしてしまうのだ。それはいい方向に進む場合もあれ、負の方向に働くこともある。

昔は四柱推命などで相性を見ることがあった。

西洋占星術や四柱推命などで人と人の相性をみて、男女の結婚相手候補で決めてることもある。

人は生まれながらにして、その星々のもとで生まれ地に着くため宿命をみて相手を決めて、いい相手よりも結んではいけない相手にしないという所を村や家族でやっていたのだろう。

相性というものは、いい相性よりも縁を結んではダメな人を選ばないようにするために思う。占いは先人たちが当時統計を取ってきたもので、その星読みはある程度は当たるが科学的学術的根拠がないため、日本では占いとして取り扱われる。

昔の見合い結婚や政略結婚というものでは、世話焼き叔母さんや大臣などが決めていただろう。それはその人の宿命星をみてそれなりにうまく事が運ぶ相手にできたのだろう。

恋愛は夢の中にあり、結婚は礼儀の中に成る。

恋愛は夢、希望、トキメキである。華やかで楽しい遊び。それはゲームであり夢のようだ。

その時、楽しければいいしその先のことは考えることは少ないものだ。しかし、結婚を視野に入れた途端に現実に変わり、”親しき中にも礼儀あり”と志、真の愛が必要になってい来る。

人として不快なことは恋愛では甘えやあざとさ、嫉妬心などが楽しいところで欲望のぶつかり合いとなっていく。

ところが

結婚では、互いのことを考えしてはならないことを考え動くようになる。それが愛である。

愛は名詞ではなく、動詞であるため、動かなけらばならない。

愛のことを仁といい優しさがあるのだ。武士道では志を持ちて、互いに礼を忘れることはない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました