生きる意味を見出そう。生きていていいのだ。

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生きていていいのだ。

親や周りから罵詈雑言や自己肯定感や自尊心を気付けれたことは、人によってあると思う。それは態度であったり、DVやモラハラであったりするとは思う。特に子供の頃にそういったことがあるとトラウマのようになることだってある思う。

死を考えると生がわかる。

つらい状況にあると、自害をしようと思う人がいるし、そう思って怖くてできない人もいる。

これは、死を考える機会であると私は思う。不安や心がしんどい時ほどそう考えてみるといいのかもしれない。

武道の勉強をしていると、朱子学や葉隠れ、武士道などがある。これらは死についてよく考えている。それは生きることについて考えているともいえる。

それからいえることは、死を考えるとどこかで必ず訪れがそれまでどう楽しみ、どう遊び働くかと思ってきたりする。

人から自己を否定されている人ほどそれをよく考えてみてほしい。

生きる喜びはどこにあるのか。

生きる喜びは、感謝にあると考える。

これは目にも見えないし、言わないとわからない。心にあるものだ。

感謝のことばは日本には多くあると思う。 例えば、ありがとう、感謝感激、お礼、敬い、などとある。これは武道の歴史や宗教性にあると思う。

生きてている意味や喜びは、自分がこの世にいることを感謝すること。

食べること、寝ること、どこかに住むこと。何も持たない人が貧しいかというとそうではない。

住居を持たない人が不幸かというとそうではないと思うし、友達が少ない、いないと思う人でも不幸だとは思わない。なぜなら、人によって大事なものは違うからだ。人は欲をもって行動し、地位や権力、財産などを築き上げそれを維持でも守ろうとする。

何も持たないひとは、無理して守り抜く必要がないわけだ。

頑張ることは才能。

頑張れないことが悪いとか、努力が足りないとかよく耳にするがそれが悪だとは思うことはない。

短期間の努力もあれば、長期間の努力がある。さて、どちらが偉大なのかわかるかな。いや分からない。必要なとき努力が出来れば上々といったことだ。

この努力ができたことは自身につながるだろう。

しかし、これは才能の一つであるため多くの人に押し付けることではない。

周りが出来ていて自分だけができない。

私はよく周りのひとがスラスラと、学業であったりスポーツであったりこなしていく人がいるのを目にすると自分の能力やセンス、覚えの悪さに情けないと思っていた。

しかし、私の書の先生はそんなことをどうこう言うことはなく、ただ、書くことを肯定してくれていた。ゆえに何事も楽しんでやってみたり、それを行うこと自体に価値があると思うとその劣等感はなくなっていくと思う。

これもまた、武道で死を考えることに含まれる。18歳で至るものと24歳で至るもの、至ってしまえば皆同じである。それをしたことが何事も偉大である。

生きる意味??

生きている意味を考えると、宗教や文化、生物学的なところで見ていくとわかると思う。しかし、そんなことを考えるのも面白く、楽しいが、それよりも人生を楽しむことを考えるといいと思う。

生きる意味を私自身が問て、結論は楽しむ方が楽しいぜ!という私の結論。

それは、いずれ亡くなるわけだからである。

楽しむのは、簡単で日常に感謝し、モノや事に疑問をなぜかけ考える。遊びを自ら見出すのである、まるで子供の時かのように。

ご飯やパンを手にして、香りや食感、などを楽しむのである。散歩をして町の情緒や雰囲気を楽しむ、それは平日の朝や夕方、休日の朝と夕方などの違いを発見してみるとか、カラスの観察するとか。人は暇を持ておそび孤独でいるとうつ病になることがあるので、そういった人生の楽しみ方をしてみるといいと思う。

宗教の出現

瞑想したり、自然や町を観察していると宗教が生まれる理由がわかると思う。

それは、世の中は分からないことだらけである。

モノが下に落ちるのは、重力があるからだが、そもそも重力ってなんだ?どうやって生まれているのか、深く考えれば考えるほど未知が出現し、この世は未知であふれていて神なるものがいないと説明ができないのだ。

科学は答えのあるものしか、探求しきれないが、答えのあるものでも進めていく見えないものとなり物理学の先生方ほど宗教に興味が湧きだすようだ。

生と死の課題は、宗教が最も縁が深く歴史がある。

冠婚葬祭などはまさにその四字熟語であると感じられる。儀式であるが故にわかりやすい。

生きるのがつらい人がいたら。

生きるのがつらい人がいるのなら、それは金銭なのか、人なのか、自分人身なのかのどれかがない、わからないのだと思う。

それを一人で解決する簡単な方法は勉強することである。学問は生まれた環境や才能の差を埋め合わせてくれる。

福沢諭吉 先生が学問のすすめを書かれ、そこには学びの本質があった。それは生きる意味や人の在り方なども載っている。

人生は楽しむもの、幸せは感じ感謝すること、学問は人生を豊かにし立場を理解し人として成長させてくれるもの。生きる意味はこれらなのかもしれない。

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